青春の山  NO4          はじめての北アルプス 涸沢

昭和40年7月13日夜
名古屋駅コンコースに並んで苦悶していた。昨日までの台風被害でで松本から
上高地までの交通機関は動いていない。しかし夏期休暇は年一度だけで諦め切れない。
明日になれば復旧するだろう希望的観測で「行こう」3人は決めた。

23時15分発夜行発特急「木曽5号」は7月14日早朝松本に到着した。やはり、
道路決壊で上高地へは入れない、見通しの立っていない復旧工事を待つしかない。 

テントや5日分の食料の入った大きなリュックサックを背負って、松本城
をウロウロしながら対策を考えることになってしまった。

今夜は美鈴湖畔にテントを張って状況の好転を待つ事にした。
涸沢で食べる予定だったの若鶏の丸焼きをうらめしげに口数も少なく3人は食べた
 Aさん・T君があまりに落ち込んでいるので、女子大生をキャンプファイヤーに誘ってきたら
 二人が急に元気を出して張り切りだした 群馬県から来て白馬岳に行けない隣のテントの3人組も誘った。
 7月15日 5時起床朝食をしている内に天気が回復してきた。 上高地へのバスが出るかも知れない松本駅に行き 情報を集めることに
 してテントを畳む。松本駅で1番バスが出たと聞き島々駅まで電車で行くと、又道路事情でバスが運休になっている。

 タクシーなら行けると言われ乗りむ。 道路は確かにひどく荒れていた、車中で昼食のクラッカーを食べておき、河童橋到着後に
 すぐ歩き出した。 明神館から徳沢の間で梓川の堤が決壊して道が水に浸かっていた歩きにくい。
 シュラフに包まれた遭難者が数人の山男に担がれての下山にすれ違う 思わず手を合わせ緊張する。

 河童橋12・00 → 明神館前12・40 → 徳沢13・40 → 横尾山荘15・00 → 木谷橋17・00 → 涸沢到着19・30 テント設営
 へとへとに疲れて寝袋にもぐり込む
 7月16日
 朝小雨が降っている風もかなり吹いている。
 昨日の疲れで寝袋から出られないでいる。

 7時30分テントのポールが突風で折れた。
 3人は寝袋から這い出す。器用なT君が付近
 に落ちていた傘の棒で応急修理する。

 朝飯をすませたら雨が丁度止む。
 視界は悪いが奥穂高岳へ登ろうと歩きはじ
 めたが僕がはスリップして右手を岩で突き
 応急処置では出血が止まらずテントに戻る。
 私のケガで穂高へのチャンスをなくして二人に申し訳けなかったが
 時々雲の間から見える穂高の連峰を眺め涸沢カールでのんびり過ごしてしまった。

 晩飯はなすのバター焼きとポタージュスープ 美味しい!
 我がシェフの料理は好評である。

 明日の天気予報は良い。北穂高から奥穂高へ縦走すると決め、21時就寝
 
 7月17日 1時Aさんの浸水の声に目覚める。寝袋の先にナイロンの袋をかぶせて寝なおしたが、風雨とも激しくなり全員起床ヤッケを着込み
 防寒体制をとりエヤーマットの上に座りタオルで水を拭い取り、コッフェルに入れ外へ捨てる作業を続ける
 体力も消耗するし眠いので交替でいねむりをする。ラジュウスに火をつけ飯を炊いたがAさんT君二人はあまり食べない。

 5時少し明るくなったが風雨さらに強くなる。ラジオの情報から次の台風発生を知る。状況により山で閉じ込められ夏期休暇中に帰れぬ恐れも
 考えられる。穂高登頂を諦め撤退を決断し二人も了解を得て荷物をまとめ始める雨は止まない。 8時30分テントをたたみ下山開始

 ぬかるみの中を、登った時より雨を吸って重くなったリュックサックを背負い休みなく歩き続け10時30分横尾山荘に着いたが人が多くて休めず
 更に1時間歩き徳沢小屋で暖かい月見うどんを食べてホッと一息したが上高地発14時のバスが出ると聞き又歩き続け無事バスに乗る。

 涸沢発8・30 → 横尾山荘10・30 → 徳沢11・30 → 明神館13・00 → 上高地13・45 → 島々16・00 → 松本16・50 → 名古屋駅23・24
 休暇を一日残して逃げ帰ってきたが、来年穂高へ再挑戦しようと三人は約束して解散をした。